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東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)151号 判決 1969年4月24日

原告 西嶋保道

被告 公正取引委員会委員長

代理人 小林定人 外二名

主文

一、被告が昭和四〇年一二月三一日付でなした原告に対する辞職承認処分を取り消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一、原告が総理府事務官として公正取引委員会事務局に勤務していたところ、昭和四〇年一〇月上旬、被告に宛て、辞職願を提出し、被告がこれにもとづき同年一二月三一日辞職承認処分をしたこと、原告が右辞職承認処分には違法は瑕疵があり公務員に対する不利益処分に該当すると主張し、人事院に対し不利益処分の審査請求をしたところ、人事院が同四二年六月二一日右辞職承認処分を承認する旨の判定をな し、その判定書正本が同年同月二四日原告に送達されたことは当事者間に争いがない。

二、原告は、前記辞職願は要素の錯誤にもとづいてされた無効なものであり、これが有効であることを前提としてした本件辞職承認処分は違法であるとし、その取り消しを求めるので、以下これを判断する。

(1)  被告が原告に対し少なくとも昭和四〇年三月頃より数回にわたつて辞職の勧告をしたこと、その頃原告が被告委員会事務局庶務課長吉野秀雄に対し原告につき年金資格が発生したならば辞職してもよいとの意向を示したこと、被告委員会事務局の係長伊藤義尊が原告の問い合せに対して、昭和四〇年九月に年金資格が発生すると答えたこと、本件辞職承認処分後の昭和四一年二月二八日頃被告委員会事務局の庶務課長野上正人および係長伊藤義尊の両名が原告方を訪れ、原告の年金資格の算定に誤りがあり、かつ、年金資格発生までになお一年余を要する旨を告げたことは当事者間に争いがない。

(2)  右にあげた(1)の事実に(証拠省略)を総合すると、以下の事実が認められ、これに反する(証拠省略)は前示各証拠に対比して措信せず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

(イ)  被告委員会ではかねてからその職員構成が、他の省庁に比較して高令化の傾向にあつたため、昭和三八年七・八月頃人事を刷新し業務の能率向上があるとし、その一環として高年令職員の退職を求める方針をたてた。そして、その頃すでに六九才以上の高令に達していた原告ほか三名の職員に対し、被告委員会の命を受けた同委員会事務局庶務課長吉野秀雄が退職する意思があるか否かを打診し、ついで数次にわたり右原告らに退職の勧告をしたが、容易に原告らの同意を得ることができなかつた。ことに原告は、「自分は健康状態も良好であり、人一倍業務に精励しているから、健康の許す限り勤務するつもりである」と述べ、勧告を拒絶した。

(ロ)  ところが、昭和四〇年三月頃吉野庶務課長が原告に対しかなり強く退職を勧告し、再考すべきことを求めた。ついでその後間もなく同月中に吉野課長が原告に会い再度退職勧告をしたところ、これよりさき原告は自己の進退に関して先輩同僚などの意見を徴した結果、年金資格がついたならば退職勧告に応じても良いとする心境となつたため、同課長に対し「年金資格がつくまで辞める気はない。しかし年金資格が発生したならば退職してもよい」との意向を示した。これに対して、吉野課長は年金資格がつかねば退職勧告に応じないということが将来の前例となることを慮り「年金資格がつくまで待つことはできない。できるだけ早く辞めて貰いたい」と答えた。

原告は吉野庶務課長に右のように述べた後、ただちに被告委員会事務局で職員の退職後における共済組合の長期給付(年金を含む)に関する事務を所掌している同事務局庶務課給与係の伊藤義尊係長の許に赴き、自己の年金資格の発生時期および年金額の調査方を依頼した。伊藤係長は原告の求めに応じて調査したところ、年金資格の発生するのは昭和四〇年九月であり、年金額は二〇余万円であると算定されたので、その頃原告に対しこれを告げたため、原告は伊藤係長の述べたことを信用した。伊藤係長はまた右調査の結果を上司である吉野庶務課長に報告したため、同課長もこれを知り、かつそれを信用した。

(ハ)  その後も吉野庶務課長が数回原告に対し退職勧告をしたが、格別の進展をみなかつた。そのうち被告委員会事務局内部の人事異動によつて、吉野庶務課長が総務課長に転出し、昭和四〇年七月一日その後任に野上正人が就任した。野上庶務課長は前任者の吉野課長より、原告に対して退職勧告をしているが、原告が年金資格の発生するまでは退職しないといつていること、および昭和四〇年九月になると原告につき年金資格が発生し、そうしたら退職してもよいと述べている旨を聞き、これを知つていた。ついで野上課長も就任後間もない頃から原告らに対し退職勧告をはじめたが、原告はその間年金資格の発生に関しては何も述べず、もつぱら退職の時期などが話題の中心となるにとどまつた。

(ニ)  他方、昭和四〇年七月頃、原告の加入している公正取引委員会職員組合が原告らに対する退職勧告に介入し、原告らと被告との間の対立点につきあつせんをはじめた。その結果、組合と被告委員会との間で原告は昭和四〇年一二月三一日限り退職するものとし、退職金の支給に関しては整理退職等による優遇措置(国家公務員等退職手当法第五条を適用する趣旨)をとることに相互間で了解し、かつ、原告もこれを承認した。そこで、原告は昭和四〇年一〇月上旬被告に対し退職願を提出し、同年一二月末日被告が右辞職を承認する旨の処分をした。なお、原告は退職願を提出する前、昭和四〇年九月に給与改訂が行なわれることになつたため、伊藤義尊係長に再度自己の年金資格発生の時期を確めたところ、同係長は「九月には間違いなく年金資格が発生する」と述べた。

(ホ)  被告委員会事務局の退職職員に対する共済組合から支給される年金関係の事務を担当する厚生係では、原告の退職後、原告に対し年金受給申請に関する書類を送付したので、原告は右書類に所定の事項を記載押印し、必要な戸籍抄本を添えて右厚生係に返戻した。厚生係では直ちに所定の手続を履践したところ、年金支給に関する事務を取り扱う国家公務員共済組合本部年金部より、原告については年金資格がいまだ発生しておらず、なお一年余の不足があると判定され、申請書が被告委員会に返戻されてきた。これを知りことの意外に驚いた野上庶務課長は直接右年金部に赴き照会したところ、被告委員会事務担当者の計算に誤りがあり、前示判定のとおり相違ないことが明らかとなつた。そのため、昭和四一年二月二八日頃野上正人課長および伊藤義尊係長の両名が原告方を訪ね、原告に対して、原告の年金資格の算定に誤りがあつたこと、および年金資格発生までになお一年余を要する旨を告げた。

(3)  右に認定したところによると、原告は昭和四〇年三月頃被告委員会の命を受けた同委員会事務局庶務課長吉野秀雄の退職勧告に対し、「年金資格が発生すれば退職してもよい」と明確に述べており、かつ、事務担当者の調査結果によつて、原告はもとより右吉野課長および後任の庶務課長として原告の退職勧告にあたつた野上正人も、原告につき昭和四〇年九月に年金資格が発生するものと信じていたこと、原告は右の点が真実であることを前提として、被告に対し同年一二月末日限りで辞職する旨の意思表示をなし、これを書面化した退職願を提出したのであるが、右年金資格発生時期の算定につき誤りがあつたため、辞職承認処分のされた昭和四〇年一二月三一日現在では、いまだ原告に対する年金資格が発生していなかつたということができる。右の事実および一般に長期間にわたつて公務員として勤務した者が辞職の意思表示をする際に、年金資格の存否は極めて重大な関心事であることを考えると、原告につき年金資格の発生するかどうかは、原告が表明した辞職の意思表示の主たる内容をなすものであり、もし右の点につき錯誤がなかつたならば、原告は辞職の意思表示をしなかつたであろうし、普通一般人にあつても同様な態度をとつたであろうと解される。してみれば、原告がした本件辞職願の意思表示にはいわゆる動機の錯誤があり、しかもそれは相手方たる被告に表示されていたところであるから、該意思表示には要素の錯誤があり、無効であるといわねばならない。

ところで、被告のした本件辞職承認処分は、原告のした右辞職願の意思表示が有効であることを当然の前提とするところ、該意思表示が無効である以上、右辞職承認処分は違法であつて、取り消しを免がれない。

三、よつて、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用は敗訴当事者たる被告に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡垣学)

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